子どもと絵を楽しむ会をやるにあたって、どんな名前にしようか考えた。
ぼくはいつも名前づけにやたらとこだわって、あれこれ考えこんでしまう。

自分の本を出すときも何百というタイトルをひねり出して、編集者を困らせたりもした。(それでいて結局、編集者の方からでてきた『偶然の装丁家』になったのだけど…)

名前はできるだけイメージを限定させない、広い意味の言葉。ぱっと見て意味がさっぱりわからず、短くて覚えやすい言葉がいいなぁ、と思っていた。

インドの友人が「カタラヤ」というNGOをやっている。「カタラヤ」は、サンスクリット語のKatha(語り)+Laya(家)をつなげた言葉で、そのまま「語りの家」という意味だ。

ぼくもそれを真似して、Chitra(絵)+Laya(家)で、「チトラヤ」という名前を考えた。

たぶん正しくはChitralayaなんだろうけど、「チトラ家」の雰囲気を残したくて、Chitrayaにした。ほんとはChitlayaのほうがきれいなんだけど、家よりも絵を優先して、Chitrayaにした。カタカナはなんだかカクカクしいので、ひらがなにした。
メモ帳に「ちとらや」と書いて、ロゴも考えてみる。これはわれながらいい名前がつけられたのでは…とほれぼれしていると、横で見ていた娘が言った。

「ちとらや? えっ、とらや?! とらさん?」

娘は「男はつらいよ」の車寅次郎が大好きで、頭の中の半分くらいはかのフーテン男のことでいっぱいなのだった…。サンスクリットの霊妙な世界に酔いしれていたというのに、ちゃーんちゃらららららーん、の葛飾柴又に引き戻される。

でも、たしかに「ちとらや」のなかにはいろんな言葉が隠れているなあ。「地」もある「血」も「知」もある。名前の意味は参加者の子どもたちに見つけてもらうことにしようか。

ウェブサイトの「はじめに」の文章でぼくはこんなことを書いた。

「ちとらや」は絵の家。
インドの古い言葉サンスクリット語の
Chitra(絵)とLaya(家)をつなげた造語です。
どんな場所にいても、絵を描く瞬間は、
その場所がその子にとって安心できる小さな家になりうる。
そんな想いをこめてつけました。

そう、「ちとらや」は絵を描く家ではない。
子どもは大人の手によって作り出された「絵の家」に行き絵を描くのではない。「ちとらや」は絵を描いている瞬間に子どもの上にできる見えない屋根であり、扉であり、窓であり、居間であり、寝床なのだ、と思う。少なくともぼくはそういう気持ちで、この会をやっていきたい。

ここまで書いて、ナナオサカキの大好きな詩を思い出した。
人は座ったその場所で、祈り、歌い、そして絵を描く――。


 

ラブレター

半径 1mの円があれば
人は 座り 祈り 歌うよ

半径 10mの小屋があれば
雨のどか 夢まどか

半径 100mの平地があれば
人は 稲を植え 山羊を飼うよ

半径 1kmの谷があれば
薪と 水と 山菜と 紅天狗茸

半径 10kmの森があれば
狸 鷹 蝮 ルリタテハが来て遊ぶ

半径 100km
みすず刈る 信濃の国に 人住むとかや

半径 1000km
夏には歩く サンゴの海
冬は 流氷のオホーツク

半径 1万km
地球のどこかを 歩いているよ

半径 10万km
流星の海を 歩いているよ

半径 100万km
菜の花や 月は東に 日は西に

半径 100億km
太陽系マンダラを 昨日のように通りすぎ

半径 1万光年
銀河系宇宙は 春の花 いまさかりなり

半径 100万光年
アンドロメダ星雲は 桜吹雪に溶けてゆく

半径 100億光年
時間と 空間と すべての思い 燃えつきるところ

そこで また
人は 座り 祈り 歌うよ

人は 座り 祈り 歌うよ

(ナナオサカキ詩集『犬も歩けば』野草社刊)

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